ひろしゃま

ももくり3年、宗8年。里山の経済を「柿」でつくる。

ひろしゃまvol.16

お話をしていただいたのは

ももくり3年、宗8年。里山の経済を「柿」でつくる。

 細い山道をくねくね上がり、最後のカーブを曲がって頂上に着くと、そこには大小の柿の木に囲まれた小さな集落があった。  取材日は10月上旬。色づきはじめた実が、里に温かみのある色彩を加えていた。  尾道市御調町・菅野地区。江戸時代から400年近く続く ”伝説の柿の里“ だ。 今も集落には数千本の柿の木があるという。  聞こえるのは、鳥のさえずりと風の音、そして秋の訪れを知らせる虫の声。  そんな静かな山里へ8年前にUターンして「柿」で起業した(株)尾道柿園・宗康司さんに、お話を伺った。

柿の里のポテンシャル

「この集落の家は、塀がないんですよ」と、宗さんは到着すると最初に集落の特徴を教えてくれた。かつてはすべての家で ”串柿“ を作っており、季節になると「家が見えなくなるほど柿が干してあった」そうで、風の通りを妨げる塀は邪魔なものだった。
 しかし、正月の鏡餅と一緒に串柿を飾る文化は廃れ、柿の実は収穫されることさえもなくなった。
「もったいないですよね。昔は干し柿と葉たばこを生産する専業農家で、集落のみんなが生活できていたのに。」
Uターンして最初に手がけたのは、昔ながらの吊るし柿。ヘタの上の枝をヒモに通してぶら下げ、天日干しで仕上げる。それをインターネット上で販売したところ、あっという間に5000個を完売した。
「こりゃすげぇや、と思いました。自分がすることはこれだ、里にある資源はこれなんだと。」
 ただし、干し柿を作り、販売できるのは秋だけ。かつて里にあった ”柿の経済“ を復活させるには、秋以外にも生産・販売できる柿商品が必要だった。研究開発の末に、柿酢、柿渋、ドライフルーツなどラインナップが増え、販路も拡がっていった。
「やるならちゃんとしたものにしようと、60歳の時に会社にしました。若い時は60歳以降の人生なんて考えなかったけど、いざ自分がなってみると、いろんな選択肢があるんですよね。今は、60くらいじゃ『まだ若いな!』と思います。」
 目指すのは、経済を興すこと。新しい柿商品を生み出すことはゴールではない。今後は、原材料として地域の柿を買い上げ、お金を循環させながら、次の世代の生業へとつなげてゆく計画だという。

いちばんの歴史

 あくまでも個人的感想だが、宗さんの第一印象は「ちょい悪オヤジ」。そして話しているうちに、少年のような印象もプラスされる。とにかく楽しそうで生き生きしていて、新しいアイディアにどんどんチャレンジし、それらをなんだかんだと実現させていく。いわゆる常識だとか慣習、固定概念にとらわれず、発想も行動も自由でとても柔軟なのだ。  
 そんな宗さんがいちばん熱っぽく語ってくれたのは、柿渋のことだった。
「藍染がJAPAN BLUEとして世界的に知られ、評価されていますが、次に来るのはJAPAN BROWN、つまり柿渋の色なんですよ。里に生き残った樹齢100年、150年の木がスポットライトを浴びようとしているんです。すごいロマンがあると思いませんか?」
 日本では室町時代からの歴史がある柿渋は、夏のうちに未熟な柿の実を絞り発酵させ、塗料や染料として使われてきた。昔は各家に数本の柿の木があり、干し柿はもちろん、柿酢や柿の葉茶、そして柿渋も自家生産していたという。
「明治までは、日本でいちばん柿渋の生産量があったのは因島だったんですよ。村上海賊があったでしょ。防水効果や防腐効果があるから船に塗ったり、当時は帆船だったから帆布を染めたりするのに、大量に作っていたんです。」

仲間と覚悟と未来

 戦後、高度成長期を迎えると、柿渋はしだいに石油製品に取って代わられ、いっきに衰退していった。
 しかし、世界的に自然志向へとシフトしている現代、再び柿渋にスポットが当たっている実感が宗さんにはある。この流れを逃すまいと、関心を持つ人たちに向けて発信することに取り組もうとしている。その一つが、現在建設中の工場と工房だ。
 工房になる改修中の古民家では、建具の塗料はもちろん柿渋。柿渋の醸し出す独特の風合いを目の当たりにすることで、実感として柿渋の魅力を知ってほしいという狙いがある。
「ここでは『柿×体験』をテーマに、染色や、染めた布を使ったものづくりワークショップをしたり、柿ピザを焼いて食べたり、そういった時間をゆっくり味わえるカフェみたいなことをしたいと思ってます。あとは柿商品のアンテナショップ。現地に行かないと味わえない空気感、そこでしか買えないものこそが地域経済のあり方だと思うので。」
 工場・工房づくりでは、クラウドファンディングにも挑戦した。目標額は、500万円。周囲には心配する声が多かったが、宗さんはハードルを下げようとはしなかった。
「仲間は『無謀だ』って言うけど、8年やってきたから信念があるんです。絶対に大丈夫、響くはずだって。支援と一緒にありがたいメッセージをいただいて、期待の大きさを感じました。なんとしても期待以上のものを作りたいです」
 プロジェクトはたくさんの共感と支援を得て、無事に目標額を達成した。8年前、たった1人で始めた柿の里を復活させる取り組みは、地域の人々ばかりか全国へと知れ渡り、志を同じくする仲間が一気に増えた。
「1人ぼっちで見る夢は、きっとずっと夢のまま。でも、同じ夢を見る仲間ができると、不思議と現実になるんです。今、それを実感しています。」
 故郷へUターンした8年前に畑に植えた柿の苗は、ようやく実をつけるようになったという。ゆっくり育つこの柿のように、宗さんの取り組みも、年月を重ねるほどに、多くの実りをこの里にもたらしてくれるに違いない。

編集後記

振り返ってみると、25歳の時、30歳の時と、節目の歳を迎えるたびに「もう〇〇歳」と嘆き、失ったものにばかり目が向いていました。宗さんとお会いしたのは、さらに年齢を重ね、未来が無いようにさえ感じていたそんな時でした。 60歳の時に新しい事業をスタートし、チャレンジを続けている宗さんのお話は刺激的で、いかに自分が狭い視野と凝り固まった考えに縛られているかを思い知らされました。 私だって、まだできるはず。挑戦してもいいんじゃない?歳を重ねて手に入れたものもあるはず! 宗さんと出会い、鮮やかな柿色に心が染まるような、明るく温かい気持ちになりました。自分の限界を決めつけることはせず、老いても実をつける柿の木のように、いくつになっても何かを生み出せる自分でいたいなあと思います。

ももくり3年、宗8年。里山の経済を「柿」でつくる。
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取材したのは

  • 北野(澤田) 真弓(フリーライター)